細川ガラシャの足跡を訪ねて その2(6/21)

細川ガラシャの足跡を訪ねて~大阪市中央区 越中井、カトリック玉造教会~

千原英喜「Ave Maris Stella~花も花なれ、人も人なれ~」の題名にもなっている細川ガラシャ辞世の歌。今回は彼女がこの歌を詠んだといわれる場所に行ってきました。
 明智光秀の娘、玉(ガラシャ)の運命は、父が本能寺の変を起こしたことにより大きく変わることになります。夫の細川忠興から一時的に離縁され、京都 丹後に幽閉されるなどします。その後、豊臣秀吉が大阪城を築城し、家臣の忠興も大阪城近くに屋敷を構えると、玉もその屋敷に住むことを許され、ここに移り住みます。


 細川忠興の屋敷は、今の森ノ宮駅からほど近いところにありました。小さな祠と、玉(ガラシャ)の辞世の歌「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」が記された石碑があります。
 玉は外出を制限されるなど不自由な生活の中で、お忍びで訪れた教会がきっかけで熱心なキリシタンとなります。玉は秀吉によりバテレン追放令(1587年)が発令された直後に夫忠興に内緒でキリスト教の洗礼を受け、「ガラシャ」の名を授かったとされています。
 1600年、忠興が徳川家康に従って上杉氏(福島県)の征伐に出征している間に、石田三成が家康に反旗を翻します。三成は忠興を味方につけるため、ガラシャを人質にしようと細川屋敷を取り囲みましたが、彼女はこれを拒絶し、自ら命を絶つことを禁じたキリスト教の教義に従い、家臣小笠原少斎の手により37年の生涯を閉じたとされています。


 石碑からすぐの所に、カトリック玉造教会があります。西日本を代表するカトリックの大教会で、おごそかな雰囲気が漂っていました。大聖堂の両側にそれぞれ像があり、右側が細川ガラシャ、左側がキリシタン大名高山右近の像となっていました。

 大聖堂の中は、礼拝が行われていない時間帯であれば自由に見学できます。高い天井、左右に美しいステンドグラス、正面にはマリアを描いた大壁画、その左右には、細川ガラシャと高山右近を描いた大壁画、そして後ろには大きなパイプオルガン。教会音楽がどこからか聞こえてきそうなたたずまいでした。
 大聖堂内は残念ながら撮影禁止でしたので、荘厳な雰囲気が伝えられないのが少し残念です。カトリック玉造教会ホームページ(https://tamatsukuri.ostk.cath...(N)

 

 

2026年06月21日